もう7年が経ちましたね。

 

本日13日の15時半頃でしょうか?小さな地震がありましたね。

少し長かった気がします。

 

今日は少しの不安を感じるだけで済みましたが、
3.11の当日は過去のことを思い出して恐怖を覚えました。

まだ全然、つい1年程前のことのように思い出します。

 

ここから少し回想に入りますので読まれる方は
ご注意いただきたいと思います。

 

管理人は千葉の幕張メッセにいました。

最初の揺れは「揺れてる?」位でしたが
だんだん揺れが大きくなり、一緒にいた先輩が
「きゃ?なに?」
と言って大きく倒れそうになり、お互いに支えあいました。

ミシギシというような音が建物全体から響き、
壁か天井か分かりませんがパネルが落ちました。

 

「先輩、外に行きましょう!」

先輩と手をつないでドアに走りました。
小さいドアに人が殺到しました。

「きゃー」とか「わー」とか皆が口々に叫んでいました。

 

全員が外に出て、管理人は同僚や上司と固まっていました。

地震が少しおさまっていました。

不安を感じながらもみんなが静かにしている時に震度を調べました。

「7らしいです!」

という管理人に

「インフラ関係の株価上がるな~」

と上司は嬉しそうでした。

 

メッセの中に誰も戻らないように、入り口に警備の人が
立っていました。

上司は

「中に荷物あるから戻れない?」

と警備の人に聞いていました。

それを皮切りに、外にいた人たちが口々に「中に入りたい」
というようなことを言い出しました。

 

折角の展示会でした。

  • 他にも見たいものがあったり
  • 商談の途中だったり
  • プレゼン中だったり

地震は怖かったですが、収まったので皆が仕事に戻ろうとしました。

 

警備の人は困ったように「安全確認が取れていませんので」
のようなことをモゴモゴと言っていました。

 

その辺りでしたね。

おそらく二回目の地震が起きたのが。

 

またパニックです。

キャーとかワーとか泣いている女性も見られました。

 

社長が「帰ろう」と決断しました。

車に戻ろうとする人たちが一斉に同じ方向に行くので
その方向が混雑していました。

管理人と先輩は敷地の外から駐車場に向かいました。

なぜか上司は敷地の中の混雑している方向に突っ走っていきました。

 

敷地の外は液状化でズブズブでした。

靴が埋まって泥だらけになりました。

近くに見えた歩道橋は根元から浮き上がり、
亀裂が走っていました。

千葉の埋め立て地なので津波が来たらどうしようと
管理人はとても不安でした。

 

先輩と管理人は二人で駐車場にたどり着きましたが、
社長の車に合流しても上司がいません。

社長が
「あいつどうした?道路混むから早くいかないと」
と管理人に聞くのですが、管理人も
「はぐれました」
としか言えませんでした。

 

5分か10分か、時間の感覚が良く分かりませんが、
上司が合流しました。

すぐに出発しました。

液状化している場所にあたってしまっている車もいて
車の下か中ほどまで泥に沈んでしまっていました。

「帰れないね」

社長か上司か、誰かが言っていました。

 

やはり道路は混んでいました。

道路のあちこちに亀裂が走っていて、車は大渋滞でした。

停電していて信号機は機能せず、3つの信号が同じ黒い色でした。

駅も真っ暗でガランとした暗い入り口が広がっていました。

 

東京に戻ってくるまで5時間か6時間ほどだったと思います。

その間の記憶が一切ありません。

時間の感覚もありませんでした。

トイレ休憩として、皆でコンビニに行ったことだけを
覚えています。

コンビニも真っ暗でした。